小柄の小松です。
シンプルな着こなしじゃダメな気がして「人がやったことのないファッションをしなきゃ」と2年半ほど迷走していました。
以前、こんなツイートをしました。
個性的なファッションに憧れて尊敬する人達の真似をしたことがありましたが、どれだけその人達に近づけても、同じようなカッコ良さは出せませんでした。真似は絶対必要なことですが、それだけだとうまくいかなかった。
無理して個性を出そうとすると失敗します。焦らないほうがいいです。
— 小柄の小松 (@komatsu162) July 12, 2019
個性的なファッションに憧れて尊敬する人達の真似をしたことがありましたが、どれだけその人達に近づけても、同じようなカッコ良さは出せませんでした。真似は絶対必要なことですが、それだけだとうまくいかなかった。
無理して個性を出そうとすると失敗します。焦らないほうがいいです。
これについて詳しく書いていきます。
“個性”と聞くと響きがいいですが、あれこれ試した数年間で学んだのは、余計なことを考えず小さなことを積み重ねればいいということでした。
ファッションに個性は不要だと感じた理由
いろんな方のマネをして感じたのはファッションに個性はいらないということです。
そもそも個性は狙ってつくるものではなく、自然に出来上がっていくものだと思うからです。
たとえばこれは2017年1月頃の僕の服装です。
洋服について考えだしたのがこの数ヶ月前。どこにでもいそうな比較的普通の格好です。
そしてこれは2017年12月頃の服装です。
知人からもらった派手なニット帽の色味に合わせた服装をつくってみたんですが、いま思えればなんでこんなことをしたんだろうという気持ちです。
正直これを見てカッコイイと思う方はいないと思います。でも当時はこういった、これまでやったことのない特殊な組合せというものに囚われていました。
シンプルな着こなしを知人に見せても反応をもらえないので、人目を引くトゲのある服装に変わっていったんです。
このように無理して個性的な服装をしようとしても、他人から見たらおかしな方向に進んでいきやすい。
無理なんかしなくても、ファッションサイトでよく見かける服装を突き詰めていけば、私生活では全く問題ない。
「もっと攻めた服装でもいいんじゃない?」と言われることもあるでしょう。実際洋服に詳しい方達から何度かそう言われました。
でもちょっと前までブルゾンという言葉の意味すら知らなかった自分が、攻めた服装をしたところでチグハグになる。
数年前の自分に言ってやりたいです。ファッションで攻めた服装をするなんて10年先でいいよと。
服好きにウケても実生活で使えるとは限らない
個性を出すことにこだわっていた自分ですが、仮に服好きの人からウケても実生活で使えるとは限りませんでした。
なぜならほとんどの人は無難な普通の服装を好むからです。
たとえばこんな服装をしていた時期がありました。
色数は抑えていますが、この服装で出掛けられる場面なんて「服好きの友人とショッピング」くらいしかありません。
学生時代の友だちとこの格好で再会したら多分浮きます。
こんな服装もしました。
短パンにジャケットとシャツを合わせて大人びた服装にしたところで、普通の人からみたらTシャツやポロシャツでいいじゃんと思うでしょう。
元々は人からオシャレ・カッコイイと思われたかったはずなのに、段々普通の感覚とズレていったんです。
いくら服好きの方にイイねと言われても、実生活で使える場面が少ない服装はメリットがあまりありません。
真似することでわかる自分の上限
とはいえ、一度誰かの真似をしてみることは必要だと考えています。
どこまでやったらやり過ぎになるのか、自分の上限がハッキリとわかってくるからです。
一度、尊敬する方の服装を徹底的に真似してみたことがありました。
僕がどうやったところでター○ネーターのようにしかならないんですが、普段自分がやらない服装をすると、これは自分には合わないという基準が明確になります。
真似することで、その方がなぜサングラスを使っていたのかを肌で実感することができました。
サングラスがダメなら眼鏡にしたらどうか。色や小物の使い方だけでも真似したらイケるんじゃないか。自分の服装に活かせないかと考えるキッカケになったんです。
その方ほどカッコよくなれなくても、完コピを目指したことで自分の服装の細かいところに活かせるようになってくる。
個性的なファッションを目指したり真似し続けても上手くいきませんが、一度そこまで振り切ってみることは必要だといえます。
新しい着こなしであれば何でもいいというわけじゃない。
僕のような初心者に必要なのは、たまに人の真似をしつつ、基本に忠実な服装を積み重ねていくことです。