小柄の小松です。今回は”ファッションで個性を出す”の本当の意味について。
「個性を大事にしよう」という言葉は、いろんなジャンルで言われていることだと思いますが、これほど曖昧で無責任な言葉はないかもしれません。
特にファッションで個性を意識しすぎると、変な方向に偏ってしまい、自分を見失うことも少なくありません。
奇抜な服装を狙うと自己中心的なファッションになる【人と違う=個性じゃない】
繰り返しになりますが、洋服の着こなしで個性を出そうとすると奇抜な方向に偏りがちです。
個性と聞くと、どうしても”人と違う服装をしなきゃ”と考えてしまいます。
結果的にはそうなるわけですが、考え方としてはとても危険です。
誰かと比べたファッションは自己中心的
まず個性という言葉の意味を調べると
「他の人と違った、その人特有の性質・性格」と出てきます。
けれどそれを単に「人と違う服装」という意味で捉えると、ただ奇抜であることが正しいという歪んだ考え方に偏ってしまうこともあるんです。
僕自身、ともかく奇抜なことをするのが正しいと思っていた時期がありました。
これは”他人を軸”に考えていたということでもあります。「みんながAだから自分はBという服装をしよう」みたいな、ともかくまわりと違うことを極端に意識していた時期です。
オシャレ・カッコいいと言われる着こなしは、いい意味で人と違うから評価されるものだと思いますが、あくまでそれは結果論。
たとえば仕事で成績を伸ばしてる人を見ると思うのですが、自分に足りない部分を1つひとつ改善しているから結果を出している。
あくまで軸を自分に置いてるので、まわりと比べて変に主張することは少なめです。
洋服でも同じです。他人と比べて「俺はこんな服装をやってみたぜ!」という主張が強くなると、黙っていてもそれが外見から伝わってきます。
それはオシャレではなく、自己中心的な”痛い人”になってしまう可能性があります。
軸を自分に置くことと、自己中心的であること。この違いを言葉で表現するのは難しいですが、似てるようで考え方は全く違うものだと思います。
個性=自分に嘘をつかないこと
そもそも個性というのは黙っていても勝手についてくるものです。
身長・体重・顔立ちが違えば、同じ服を着ても印象は変わってきます。無地・柄物どちらが好きかによって選ぶ服も変わってくるので、自然と人と違う服装になっていくはず。
なので個性を出すというよりも、自分の個性をどうやったら自覚できるのかのほうが大事なことではないでしょうか?
そしてその個性を自覚するために必要なことは「自分に嘘をつかないこと」だと僕は思います。
・まわりはレザーのリュック派が多いけど、自分はナイロンが好き
・どれだけワイドパンツが流行っていても、気付いたら細身のスキニーパンツを履いている
・白シャツはモテると言われていても、自分は似合わないから着ない
一般的に正しいとされる方法でも、それはあくまで一般論。一度試さないと合う・合わないはわからないですが、やってみて違和感が出たら素直に別の方法を考えたほうがいいです。
自分にウソをつかず、1つずつ積み重ねていく。その繰り返しが個性を自覚することに繋がるのではないでしょうか?
他人の個性を認めてあげる
自分のことだけでなく、他人の個性を認めてあげることも大事です。
自分を客観的に見るのはなかなか難しいですが、他人の個性というのは何度も見てると直感的にわかります。
自分が個性で悩むのと同じで、相手もまた誰かに認めてもらいたいと思っているはず。それならまず、こちらから相手の個性を認めてあげるのがいいのではないでしょうか?
相手の服装が自分の好みと違ったとしても「それイイですね」と受け入れる。不思議な話ですが、それが結果的に自分を認めることに繋がったりします。
以前の僕は個性を意識するあまり、他人の服装を自分の好みで良い・悪いと決めつけている節がありました。
なのに自分は他人に認めてもらいたいと思っていた。そんな都合のいい話、あるわけがないのです。
“個性”という言葉は響きがいいですが、それに囚われすぎると逆に自分を見失ってしまうかもしれません。
そのときどきの自分に嘘をつかず、他人の個性は認めてあげる。そして自分と相手の違いを素直に受け入れる。
クサい表現ですが、その積み重ねが個性をつくっていくのだと思います。